『間門川(まかどがわ)の河童伝説《茅ケ崎市西久保》』

   写真で語るフォトエッセイ【連載16】

                              《写真と文》佐 藤   繁
  

 【1】間門川伝説の場所。

 神奈川県茅ケ崎市西久保の北端に茅ケ崎変電所があり、その北西百五十メートルの所に小出川に架かる大曲橋がある。
橋のたもとに「間門川伝説かっぱどっくり発祥の地」の看板を見る。

 ここから南西百メートルの小出川の左岸にこんもりとした楠木の大木が2本あり、小さなお稲荷さんがある。

 その手前に直径10メートルほどの深い池があった。
現在の小出川から流れ出た小川が池を通り、川沿いに南西の方向に流れ出る小川であった。

 現在、側溝の跡はあるが、小川となって流れてはいない。
これが間門川の跡だと考えられる。
間門川は小出川沿いに流れる支流であった。

 私はこの地の西久保で、昭和20年の敗戦を挟んで小・中学校時代を過ごした。

 私にとって河童伝説の間門川の古池は、子供心に何よりも楽しい魚釣りの場所だった。
稲荷のほこらが楠木の根元にあり、雑木の中に池があった。
ここで、20センチ大のふな、なまず、時には食用蛙まで釣った。

 小出川は一級河川、相模川の支流で海まで直結するので、うなきがよく釣れた。
大曲橋の関下では、そうめんこと言った細いひもみたいなうなぎの稚魚を捕まえた。
関上では、飢鬼大将が橋から飛び込んで泳いでいた。

 今は、近くが新湘南バイパスの交点であり、コンクリートの道ばかり目立ち、
河童という架空の動物の存在が消え去ろうとしているのが残念である。

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           写真①間門川の河童伝説発祥の場所《古池のあった所》。



 【2】伝説の河童徳利はどうなっているのであろうか。

 河童徳利の伝説は、小学校のころより村の人より聞いて知っていた。
西久保の河童徳利の発祥地が、同級生の三堀良一君の家が伝えていることを同君からも聞いた。

 その徳利が、後に茅ケ崎市の展示会に出品されていたのを見た。
ひび割れたごく普通の形の徳利であった。

 その徳利がどこにあるのかと言えば、『茅ケ崎市史』(5・概説編)によれば、静岡の個人の所有となっている。
写真を見ると、口細で細長いウスキーのリザーブのボトルに似ている。

 私が見た河童徳利と現有する静岡の人の所有するものとは全く別物ある。
西久保の三堀家から流れ出た河童徳利は、どうなったのであろうか。

 茅ケ崎市役所の文化財保護課で、三堀家のものと静岡の個人所有のものとの違いを聞いたら、
「伝説ですからねえ~」
と、笑っていて相手にしてくれない。

 西久保の河童徳利の伝説は、江戸末期の天保年間から始まったが、
その時代にウイスキイーのびんのような徳利を日本では作っていたであろうか。

 伝説の徳利は壊れてしまったとも言われているし、
三堀家から流れ出た経過も三堀君に聞いても分からない。

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               写真②芥川龍之介の描いた河童。



【3】西久保の河童徳利伝説の話。

西久保の河童徳利の元になっている話は、
『宝暦現来集』(巻21・近世風俗見聞集に第3集、大正2年図書刊行会編)にあり、
天保2年4月、江戸本所に住む彫刻師の猪之助が大山参詣のの時、
間門村(西久保)の百姓、三輪堀(後の三堀)五郎左衛門方に立ち寄り、とっくりの絵を見て尋ねたという。

 話の内容を要約すれば
「西久保の小さい川で、河童が馬を引き込む所を大勢で打ち殺そうとした時、
三輪堀五郎左衛門が助けたるその夜、河童が礼にとっくりに酒を入れたのを持ってくる。
少しずつ残しておけばいつまでも絶えることはないのに、その意を知らない者が残らず飲んでしまった。
それ以来、一滴も出なくなってしまった」。
これは鎌倉時代ころの話という。

 現在に伝えられている話は、昭和の初期、地元の鶴嶺小学校の佐藤万吉先生によるものである。
西久保の二人の古老から伝説を聞き取り、「郷土伝説紙芝居河童徳利」としてまとめられている。

 「今は昔、西久保の間門に五郎兵衛というおじいさんがいた。
馬の青を引いては仕事に出掛け、夕方、間門川に連れてきてはいたわっていた。

 ある夜、かやの茂みから怪物が躍り出て馬の尻にしがみついた。
村の人々が寄ってたかって打ちのめし、生け捕りにした。
大木の根元にくくりつけられた怪物は、間門川に古くからすむ河童だった。

 情け深い五郎兵衛さんは、なわを解いてやったのでした。
その夜、お礼にとっくりを持ってきた。
いくらでも酒は出るが、とっくりのお尻をたたくと出なくなる。

 それからは五郎兵衛は酒びたりの毎日となってしまった。

 ある日のこと、これではいけないと悟った。
馬小屋の青はすっかりやせてしまった。
とっくりのお尻を:二つ三つたたいたら、もう一滴も出ない。
また青と一緒に働く、元の五郎兵衛さんになった」。

 紙芝居として作られたので、元の話とはかなり違って脚色され、教訓化されている。
この話が、「間門川の河童伝説」として知られている。
河童の話は全国的であり、至る所に残されていて、
柳田国男の著作にも西久保の河童の話は出てくる。

   (エッセイスト・『モンド通信』主筆
           ・全国教職員文芸協会会長
           ・〒254-0012神奈川県平塚市大神1981番地
           ・電話0463-55-1814番)




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