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zoom RSS 「ララとベルフラワー」

<<   作成日時 : 2015/05/30 12:41   >>

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   私の絵画館【この一作】画家の作品と随筆

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                                    小 島 け い

  「ララとベルフラワー」

 4月のある日、季節はずれの手紙が届きました。
私が務めた2つ目の高校の先生からのものでした。

 いつからか毎年バレンタインの日に私がウィスキーボンボンを贈り、
そのお礼に手紙が届くというのが常でしたから、いつもは2月でした。
けれど、今年はまだ返事がありませんでした。

 お手紙には自作の歌や俳句が添えられていますので
楽しみに開けてみると、先生の字ではなく
”昨年から軽い認知症になったので今後はお気遣いなきように”という
妹さんからのご丁寧なおたよりでした。

 私より20歳以上上の方なので、いつかくる<その日>がきた、
というのが実感でした。
そして、その瞬間、ひとつの季節がズン!と後に遠のいた気がしました。

 赴任して最初の職員会議の時。
背筋をピンとのばし管理職と堂々とわたりあうその方を、
私はこんな人もいるのだと新鮮な想いで遠くから見ていました。
その後同じ部署になると、二人目を出産しあちこちに気を使う私を、
いろいろ気遣って下さいました。
私のノウテンキな性格が、
亡くなった奥様とよく似ていたこともあったのかもしれませんが、
弱い立場の人間をほおっておけないという昔気質の方でした。

 当時なぜか私は毎年おせち料理を三軒分作っていましたが、
いつからか先生の分も加わり4軒分になりました。
大晦日のお昼には先生が私の家でお酒を飲み、
夕方ほろ酔い気分でおせちを持って娘さんの待つ家に帰る、
というのが定番でした。

 私たちが宮崎に引っ越す前の最後の<宴>の後、
先生は玄関で突然泣き出されました。
驚いた私たちは”またちょくちょく明石にもどって来ますから”と
なぐさめましたが、
結局宮崎に来て27年。
先生とはその後一度もお会いする機会がありませんでした。
その時私たちは九州、それも宮崎の遠さを全くわかっておらず、
先生はその距離の遠さが様々な遠さになってしまうことを
すでによくご存知だったのだと、今にして思います。

 さだまさしさんの歌詞の中に
<運がいいとか悪いとか人は時々口にするけど、そういうことって確かにあると、あなたを見ててそう思う>
というのがあったはずですが。
私はその時いつも先生のことを思い出します。

 京大の法学部に入り弁護士をめざしていたのに、
戦争で家業が傾き、結局戦後は復学をあきらめ教員の道へ。
それでも奥様が若くして病死されなければ、
もっと楽しく心豊かな人生を送れたはずなのに、と思ってしまいます。
先生の歌や俳句を読むと、
抱えて生きてこられた哀しみや寂しさの深さを感じます。

 病気になってしまったのは残念なことですが、
84歳まで私学の女子校に勤めもう十分にがんばったのだから、
これからは少し浮世から離れ気楽にお過ごし下さいね。そんな風に、
そっとお伝えしたい気がします。


 絵のモデルは、鹿児島県在住だったララちゃんです。
ずっと以前お友だちの家で会いました。
その頃猫の世界とはまったく無縁だった私は、
数枚のスナップ写真を撮っただけでした。

 今回絵を描こうと改めて写真を見ると、毛はきれいな白色で長め。
目は左右の色が違う<オッドアイ>。
なんて美しい子だったのだろうと見直した次第です。
白が引きたつようにうす紫のベルフラワーと一緒に描きました。




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