戦後再構築された制度⑩開発援助と発達なき成長
ジンバブエの歴史
玉 田 吉 行
アフリカとその末裔たち続編(1)
戦後再構築された制度⑩開発援助と発達なき成長
開発や援助は、投資や貿易に加えて、
新しい形態の搾取機構の重要な手段です。
多くの資本が、社会基盤、経済投資(コミュニケーション、電気通信など)、
社会的投資(学校、病院など)に使われています。
その投資は、輸出依存を強めるように計画されていて、
外国の個人投資家たちにとっての必要条件でした。
開発援助(多国間援助、二国間援助)は
国際機関や数カ国間での同意を得て認められる仕組みです。
重要な機関は、世界銀行グループと国際通貨基金です。
世界銀行グループは、
復興と支援のための国際銀行(国際復興開発銀行、
通常は世界銀行と呼ばれています)、
国際開発協会、国際金融公社で構成されていますが、
アメリカの資本が支配的です。
世界銀行は社会基盤の建設のために、
個人資本の国際投資に安全な橋渡し役をしていて、
時には国際世論に反しても
革新主義政権の支援を中断することもあります。
国際開発協会は、世界銀行を利用できない貧しい国に、
金利なしで長期の貸付を行なっています。国際通貨基金は、
通貨の貯蓄不足時に信用貸付で不足を補ない、
システムの崩壊を防いでいます。
新しい搾取構造のもうひとつの戦略は、
高い割合の利子を利用していることです。
1962年の発展途上国71ヶ国は外国から270億ドルもの借金があり、
利子とサービス料を50億ドルも支払っていました。
1956年から1962年の間の推計では、
56の発展途上国に300億ドル(約3兆2566億円)の資本が輸出され、
債務国からは利子など150億ポンド以上
(約2兆9817億円)の金が引き戻されていました。
つまり、開発や援助の名目で金を貸し、
大半は自国に回収して高い利子を押しつける、
それがヨーロッパ人同士が殺し合った
二つの「世界大戦」のあとに再構築した、
新しい形の搾取構造の実態です。
しかも、加害者側、現に搾取構造によって多大な恩恵に与っていても、
アフリカは貧しいから日本が援助してやっている、
と思い込んでいる人たちもたくさんいます。
さらに、巧妙なのは、国際通貨基金、国際復興開発銀行、国際金融公社、
国際開発協会が、借り手に、さまざまな劣悪な条件を課していることです。
経済の情報を流すように約束すること、
世界銀行が見直した計画や政策を受けること、
貸付金の使い方について
助言を受け入れることなどを習慣的に強要しています。
「発達なき成長」
新しい搾取構造の下では、アフリカの経済は歪み、
恒常的に機能が麻痺したままです。
経済は拡張を強いられながら、本当の発展は期待できません。
強制的に成長させようとしても、発展が伴いません。
多くを売って、更に多くを購入するからです。
その上、世界市場での原材料の価格は、
まさに原材料を買う先進国が巧みに操作するのです。
この新しい形態の搾取構造が続く限り、
発展途上国が成長することはあり得ません。
バズゥル・デヴィドスンは「アフリカシリーズ」(1983、NHK)のなかで
ジェリー・ローリング(元ガーナ大統領)の
自重気味に語る以下の訴えを紹介しています。
ココアの生産がどうなっているか考えてみましょう。
ココアを必要とする人、先進国がその品物の価格を決定しています。
ココア1トンが3500ポンドを支払ってくれていた時代もかつてはありました。
現在は、大体1000ポンド辺りくらいしか出してくれません。
結果的に、もっともっと働いてココアを生産し、
あなた方に「黄金」のココアを献上しなければならないんです。
一方では、あなた方先進国からの品物は、
その品物の価格は上昇、ただただ上がり続けています。
私たちに押しつけている先進国の製品にアフリカ人はすっかり洗脳されて、
製品が必要というだけでなく、製品を欲しがるという段階にまで来ています。
根本的な問題は、構造と体制の問題で、
本当にたくさんのアフリカ人が何とかその問題を解決しようと努めてきました。
しかし、大抵の人が失敗しました。
ジュリアス・ニエレレもその一人で、
ニエレレは同シリーズの中で次のように嘆いています。
1回目の開発計5年画を準備していた時、
サイザル麻の値段は1トンにつきの通貨切り下げ以前の
旧イギリスポンドで148ポンドでした、
トン当たり148ポンドだったんですよ。
この価格はそう続かないだろうと考え、
1トンが平均で95ポンドなるようにという基準で計画を立てました。
しかし、実際には70ポンド以下に下がりました。
とても太刀打ち出来ませんよ・・・。私たちに何ができます?
本当に何が出来ますか。
第一次生産者に何が出来ます?サイザル麻をどうしろと言うんです、
食べるんですか、一体サイザル麻をどうしろと言うんですかね。
サイザル麻を生産したら、売るしかないんですよ。
もし、世界市場の価格が下がったら、私たちに何が出来るんですか。
弱肉強食の世界で、一体私たちに何が出来ると言うんですか。
苦しむのは、いつも私たちですよ、ほんとに。
1980年代の半ば頃までに、国は巨額の外債と農業、
産業製品の生産が落ち込んで立ち行かなくなっていました。
タンザニアは世界銀行からの外国債継続の資格を得るために
「構造上の調整」という思いきった計画を受け入れざるを得なくなりました。
政府はウジャマー政策の下で比較的うまく行っていた
医療や教育のような政策の見方の見直しを迫られました。
1985年、ニエレレは大統領職を退きました。
(写真:ニエレレ元大統領)
宮崎大学医学部教員
玉 田 吉 行
アフリカとその末裔たち続編(1)
戦後再構築された制度⑩開発援助と発達なき成長
開発や援助は、投資や貿易に加えて、
新しい形態の搾取機構の重要な手段です。
多くの資本が、社会基盤、経済投資(コミュニケーション、電気通信など)、
社会的投資(学校、病院など)に使われています。
その投資は、輸出依存を強めるように計画されていて、
外国の個人投資家たちにとっての必要条件でした。
開発援助(多国間援助、二国間援助)は
国際機関や数カ国間での同意を得て認められる仕組みです。
重要な機関は、世界銀行グループと国際通貨基金です。
世界銀行グループは、
復興と支援のための国際銀行(国際復興開発銀行、
通常は世界銀行と呼ばれています)、
国際開発協会、国際金融公社で構成されていますが、
アメリカの資本が支配的です。
世界銀行は社会基盤の建設のために、
個人資本の国際投資に安全な橋渡し役をしていて、
時には国際世論に反しても
革新主義政権の支援を中断することもあります。
国際開発協会は、世界銀行を利用できない貧しい国に、
金利なしで長期の貸付を行なっています。国際通貨基金は、
通貨の貯蓄不足時に信用貸付で不足を補ない、
システムの崩壊を防いでいます。
新しい搾取構造のもうひとつの戦略は、
高い割合の利子を利用していることです。
1962年の発展途上国71ヶ国は外国から270億ドルもの借金があり、
利子とサービス料を50億ドルも支払っていました。
1956年から1962年の間の推計では、
56の発展途上国に300億ドル(約3兆2566億円)の資本が輸出され、
債務国からは利子など150億ポンド以上
(約2兆9817億円)の金が引き戻されていました。
つまり、開発や援助の名目で金を貸し、
大半は自国に回収して高い利子を押しつける、
それがヨーロッパ人同士が殺し合った
二つの「世界大戦」のあとに再構築した、
新しい形の搾取構造の実態です。
しかも、加害者側、現に搾取構造によって多大な恩恵に与っていても、
アフリカは貧しいから日本が援助してやっている、
と思い込んでいる人たちもたくさんいます。
さらに、巧妙なのは、国際通貨基金、国際復興開発銀行、国際金融公社、
国際開発協会が、借り手に、さまざまな劣悪な条件を課していることです。
経済の情報を流すように約束すること、
世界銀行が見直した計画や政策を受けること、
貸付金の使い方について
助言を受け入れることなどを習慣的に強要しています。
「発達なき成長」
新しい搾取構造の下では、アフリカの経済は歪み、
恒常的に機能が麻痺したままです。
経済は拡張を強いられながら、本当の発展は期待できません。
強制的に成長させようとしても、発展が伴いません。
多くを売って、更に多くを購入するからです。
その上、世界市場での原材料の価格は、
まさに原材料を買う先進国が巧みに操作するのです。
この新しい形態の搾取構造が続く限り、
発展途上国が成長することはあり得ません。
バズゥル・デヴィドスンは「アフリカシリーズ」(1983、NHK)のなかで
ジェリー・ローリング(元ガーナ大統領)の
自重気味に語る以下の訴えを紹介しています。
ココアの生産がどうなっているか考えてみましょう。
ココアを必要とする人、先進国がその品物の価格を決定しています。
ココア1トンが3500ポンドを支払ってくれていた時代もかつてはありました。
現在は、大体1000ポンド辺りくらいしか出してくれません。
結果的に、もっともっと働いてココアを生産し、
あなた方に「黄金」のココアを献上しなければならないんです。
一方では、あなた方先進国からの品物は、
その品物の価格は上昇、ただただ上がり続けています。
私たちに押しつけている先進国の製品にアフリカ人はすっかり洗脳されて、
製品が必要というだけでなく、製品を欲しがるという段階にまで来ています。
根本的な問題は、構造と体制の問題で、
本当にたくさんのアフリカ人が何とかその問題を解決しようと努めてきました。
しかし、大抵の人が失敗しました。
ジュリアス・ニエレレもその一人で、
ニエレレは同シリーズの中で次のように嘆いています。
1回目の開発計5年画を準備していた時、
サイザル麻の値段は1トンにつきの通貨切り下げ以前の
旧イギリスポンドで148ポンドでした、
トン当たり148ポンドだったんですよ。
この価格はそう続かないだろうと考え、
1トンが平均で95ポンドなるようにという基準で計画を立てました。
しかし、実際には70ポンド以下に下がりました。
とても太刀打ち出来ませんよ・・・。私たちに何ができます?
本当に何が出来ますか。
第一次生産者に何が出来ます?サイザル麻をどうしろと言うんです、
食べるんですか、一体サイザル麻をどうしろと言うんですかね。
サイザル麻を生産したら、売るしかないんですよ。
もし、世界市場の価格が下がったら、私たちに何が出来るんですか。
弱肉強食の世界で、一体私たちに何が出来ると言うんですか。
苦しむのは、いつも私たちですよ、ほんとに。
1980年代の半ば頃までに、国は巨額の外債と農業、
産業製品の生産が落ち込んで立ち行かなくなっていました。
タンザニアは世界銀行からの外国債継続の資格を得るために
「構造上の調整」という思いきった計画を受け入れざるを得なくなりました。
政府はウジャマー政策の下で比較的うまく行っていた
医療や教育のような政策の見方の見直しを迫られました。
1985年、ニエレレは大統領職を退きました。
(写真:ニエレレ元大統領)
宮崎大学医学部教員

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