『 アフリカ系アメリカ人の音楽 』

   ジンバブエの歴史  28

                                     玉 田 吉 行 

   アフリカとその末裔たち続編(4)
    アフリカ系アメリカ人の音楽


 「アフロアメリカの歴史と音楽」という教養の科目も担当していますが、
音感のない僕が音楽を紹介してもええんやろか、
と思いながら185人の学生に
毎回ゴスペルやブルースなどを聴いてもらっています。
いわゆるブラック・ミュージックは映像なども多いですので、
大きな4つの液晶画面と天井の6つのスピーカーを駆使して
音声と映像を楽しんでもらっています。
LPレコードやカセットテープから音声ファイルにしたものもあります。
ミシシッピ州出身の作家リチャード・ライト(1902-1960)を
修士論文のテーマに選んだとき、
小説を理解するために必然的に歴史と音楽にも触れるようになりました。

 1619年以来、西アフリカから北アメリカに連れて来られたアフリカ人は
奴隷として過酷な労働を強いられただけでなく、
言葉を奪われ、歴史や文化からも切り離されて、
奴隷主の言葉や宗教も押しつけられました。
生き延びるためには受け入れるほか術はなく、
日曜日には教会に行くようになり、
聖歌隊の歌うゴスペルや賛美歌を聞かされました。
最初は聞くだけでしたが、白人の歌に自分たちのビートやリズムをのせて、やがては自分たち独自の歌に仕上げました。その歌は自分たちの思いや文化を子孫に歌い継ぐ手段でした。
同時に、農場ではアフリカの歌を歌い続けました。
奴隷たちの歌はアフリカ系アメリカ人の民族音楽の始まりとなり、
ヨーロッパ移民のイギリス系アメリカ人の習慣と混ざり合って、
アメリカの伝統の一部となりました。
音楽とダンスは一体で、歌には力強さとリズムがあり、
その後、アフリカ系アメリカ人の伝統は
アメリカ大衆音楽に強い影響を及ぼしました。

 奴隷制の下での過酷な日々がアフリカ系アメリカ人の
音楽の起爆剤の一部となりました。
家族は引き裂かれ、女性たちは常に奴隷主の性欲の犠牲者になりましたが、
夫や父親は全くの無力でした。
憤懣は募るばかりで、何の慰めも見い出せませんでした。
キリスト教徒の奴隷は従順見えましたが、
誰も奴隷になりたかったわけではありません。
逃亡したり、暴動も起こしました。
秘密に集会が持たれ、南部から奴隷を北部に逃がす地下組織は  
二重の意味を持つスピリチァル(黒人霊歌)もありました。
深い河("Deep River")の元々の意味は旧約聖書2章出エジプト記(Exodus)の
ヨルダン川(Jordan River)ですが、
アメリカに連れて来られたアフリカ人には大西洋を指しました。
奴隷制の下では、奴隷州と非奴隷州の境の
オハイオ川が深い河の時期もありました。
奴隷制廃止前には、
アメリカとカナダの境の五大湖が深い河だったと言われます。

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 多くの奴隷歌が奴隷によって作られましたが、
一般にあまりよく知られていませんでした。
『合衆国の奴隷歌』が1867に出され、
フィスク・ジュビリー・シンガーズ(The Fisk Jubilee Singers)によって
スピリチァル(黒人霊歌)が広められました。
フィスク大学はテネシー州ナッシュヴィルの黒人大学で、
募金を募るために白人の聖歌隊長が黒人の歌手グループを
国内ツアーに連れて行き、各地で歓迎されました。
ヨーロッパツアーも成功を収めました。

 20世紀初頭、スピリチァル音楽は伝導音楽になり、
アフリカ系アメリカ人教会で歌われました。
この時歌われた音楽が現代ゴスペル音楽の基礎となりました。
南部のペンテコスタル教会が現代ゴスペル音楽の発展に
大きな役割を果たしています。
教会ではほとんどの人が歌に加わり、牧師も会衆も興奮して大声で歌いました。
このスタイルは伝統派には嫌われましたが、
多くのアフリカ系アメリカ人に高い人気を博しました。

 1920年代が伝導音楽の黄金時代です。
トーマス・ドロシーが30年代にゴスペル音楽を今の伝導音楽に押し上げました。
1932年に最初のゴスペル音楽の出版社を開き、
歌手サリー・マーティンと組んで多くの作曲家の作品を売りました。

 40年、50年代はゴスペル音楽の黄金期です。
ウィリー・メイ・フォードースミス、ロバータ・マーティン、マへリア・ジャクソン、
クララ・ウォード、ロゼッタ・ソープなどの女性歌手がこの時代を席巻しました。
男性歌手はカルテット(リード、テナー、バリトーン、ベースで構成)で活躍しました。
デキシー・ハミングバード、ファイブ・ブラインド・ボーイズ、ナイチンゲールズ、
ソウル・スターラーズなどが有名です。

 マへリア・ジャクソンはゴスペルの女王と言われます。
ブルースの女王ベシー・スミスの影響を深く受けましたが、
ナイトクラブへの出演は断り、教会に留まりました。
30年代にはドロシーといっしょに歌い、白人の聴衆も増やしました。
多くのレコードをヒットさせ、大手のテレビに出演もしました。
ヨーロッパツアーもし、日本にも来ています。

 ゴスペルには3つの形式:
①牧師と会衆によるゴスペル、
②教会を持たない牧師が流しで説教をしたゴスペル(ギター・エヴァンジェリスト)、
③カルテットによるゴスペルがあります。
50年代には、ゴスペル音楽は50年代~60年代の
ソウル音楽ロックンロール音楽に影響を与え、
公民権運動では人を励ます役割を果たしました。

 今日アフリカ系アメリカ人のゴスペル音楽には二つの種類があります。
ひとつは伝統もの、もう一つは
ポップ音楽の音に頼るコンテンポラリーゴスペルです。
かつてほどの人気はありませんが、国際的にも根強い人気があり、
奴隷として西アフリカから連れて来られた人たちの思いや
ビートが今日まで連綿として受け継がれています。

 90年ころにNHKのBS放送で元野球選手ウォレン・クロマティが
案内役の「愛と祈りをたずねて」というゴスペルの音楽紀行番組がありました。
自らスタジオを持って音楽活動を続けるマイアミからミシシッピ、
メンフィス、ニューオリンズとめぐるゴスペルの旅です。
ミシシッピでは残り一人となったと言われる
ギター・エヴァンジェリストを訪ねたり、
メンフィスでは1957年設立という伝説のカルテットの演奏を紹介していました。
なかなか貴重な映像で、
「アフロアメリカの歴史と音楽」の授業でも紹介しています。

                              宮崎大学医学部教員







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