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zoom RSS 『 也カ自然の浄土 』

<<   作成日時 : 2016/12/17 16:08   >>

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おたん小坊主の庭 『貫裕説法』 98

                                     佐 竹 貫 裕

  『也カ自然の浄土』
   聞思の人生


〇法(規制)をもって機(人)を律するは自力教であり、
機(人)の上に現れたる法(自然のはたらき)を歓ぶは他力の旨趣である。

○真の信心が伝えられないのは、いつでも、その概念化にある。
怠惰な私たちの心を揺り動かし、
その信念は動かざること山の如しものであるはずなのに、
理屈をこねまわしたご都合主義の知識に占領されて、
私たちの主体的内面の生命は圧迫せられ、
形式的外面的な儀式に囚えられて、真の信心は消滅し、
似て非なる異義は生ずるのである。

○対抗意識を燃やして、我が法(=白己の価値観)を守ろうと走るのは、
我慢勝他(=エゴイズムの競争意誠)・名聞利養
(=名誉欲と利得を求める気持ち)の心にほかならない。

○阿弥陀仏の本願によって成就した真実の報土は、
白己の学識や見地に囚えられたる者の観得べからざる処である。
文字も読めない愚者は却って、他力自然の浄土に往生を得るのである。

○「自分はどうしようもない悪人だ」と、
自身のエゴイズムに徹底した反省・自覚を得ない者は、
真実の願心を知らぬ者である。

○報謝とは、深重なる仏恩を念へとの反顕である。


  『宗教の必要性』

 宗教が必要なものなのか、少し疑問に思います。あまり考えると、神仏がこの世に存在しているのだろうかと、まちがった考えもおこってきますが、よくわかりません。

 これはいつでも出る質問ですが、まず、必要ということばを、
要求ということばにかえてほしいですな。
なぜかというと、
必要といえば、とにかく「生きていくために」ということが表へ出てくる。
そこで、宗教的要求がぼやけるわけです。
何か、どうでもよいことのようになってくるのぐす。
だから必要ということは、自分が要求していりうかどうか、
ということでなくてはならない。
もし、食べることも必要、着ることも必要、働くことも必要ということであれば、
文字も必要、哲学も必要どいうことすら明確でないことになりましょう。
まして、宗教が必要ということは、
ちょっとみつからんということになるんですな。
それを要求といいかえれば、ただ生物として生きていくためにではなく、
人間として生きていくために、ということになる。
それは、精神的に必要なものであります。
そうすれば、宗教の必要ということも、はっきりわかってくるわけであります。
近いところ、自分の心のたよりとしているものは何であるか、
という問題がでてくるわけです。

 人生は生死として与えられている。
「死」は問いかけ、「生」はそれにこたえねばならない。
その死は必然にくるものであるから、生は偶然であります。
そのあいがたき(すなわち偶然の)人生を何をたよりに生きていくか。
そこに宗教的要求というものがあるのであります。
それは、生死の帰依を求むるものである。
それは生の依るところ、死の帰するところを求むるのであります。
その帰依となるものを無限者という。
神といい仏という、その無限者にほかならないのでしょう。
その無限者は、人生の光となり命となる。
すなわち智慧であり慈悲であるのであります。
 十七歳ということですが、この年代は男女ともに人生の危期であります。
精神的にめざめねばならない時であります。
疑わず危ぶまず、真剣に求めねばなりません。
                   【金子大榮著『続 現代人の信仰問答』より】


  『不動の確信』

 江戸時代前期に、無難という飄逸酒脱な禅僧がいた。
鎌倉のある村老が、ひじょうに彼を尊敬して、わざわざ小庵を建て、
そこへ、住んでもらって敬い仕えていた。

 ところがあるときのこと、村老の娘が懐妊するという事件があり、
外聞を恥じた村老は、きぴしく娘を折檻してたずねると、娘はついに隠しきれず、
「和尚さんが夜な夜なしのんできたのです」
と、答えた。

 村老は、烈火のごとく立腹し、無難のもとに押しかけると、
「今まで名僧と渇仰していたのに、こともあろうに、わしの娘を慰みものにするとは、厚顔至極、さっさとここを出ていってくれ」
と、がなりたてた。

 無難は一言もいわず、だまってその庵を出ると、
雪の下というところにある親しい寺をたよっていった。

 しばらくあとになって、娘は、
「じつは、わたしの相手は、村の若い人です。おとうさんは、和尚さんを尊敬していられるので、和尚さんに罪をかけておけば、おとがめがなかろうと思って、あのような作りごとを申しました」
と、白状した。

 その若者を呼んで確かめてみると、それにまちがいがなかつたので、
村老は大いに驚き、和尚さんのもとへかけつけて、
無実の罪を着せて悪口をついたことを深謝し、
ぜひもとの庵に帰っていただきたいと懇願した。

 すると無難は笑いながら、こともなげにいつた。
「はい、はい、参りましょう」


 世の中が、煩雑になればなるほど、こちらの意図が、
まっすぐ先方に伝わらないということもありはするが、
現実生活を振り返ってみると、われわれは、なにかというと、
弁解ばかりして暮らしているような気がしてならない。

 弁解とは、自已解説であり、
つねにそれは、真実に向かつての、自己擁護である。

 だが、考えてみると、
問題は、こちらの意図が真実であるかないかという点にあり、
伝わるか伝わらないかというようなことは、その次のことがらではないだろうか。

 いや、真実というものは、おそかれ早かれ、
かならず先方に伝わるものだという、不動の確信に立てば、
こちらの真実の前に立ちはだかる、
いかなる誤解にも、弁解を越えてたじろがない酒脱の境涯が出てくるのだ。

 無難が一言もいわずに庵を立ち去る姿と、
「はい参りましょう」というこだわりのない微笑のなかにこそ、
弁解に明け暮れする自己を叱りながら、
人間生活の深い味わいを考えさせてくれるものがひそんでいる。
                      【花岡大学 著 『払の奔流』より】


  【私の知っている浄土真宗】

                 『世雄山 威王院 聞成寺 略縁起』  釋貫


 当山「聞成寺」を創建されたのは、能化 坊慧秀 権大僧都というお方です。
この方の出自は、
常州久慈郡佐竹庄東金砂山(現在の茨城県常陸太田市天下野町)三廻部城主の
従五位下常陸介佐竹義兼の長男、佐竹太郎宣義というお方です。
(この方の妾腹の兄にほ、時宗の遊行第三十二世であり、
藤沢の清浄光寺住職十三世の普光上人という方がおられます)

 天正元年(一五七三年)三月、京の洛北、大原円融院宮に於いて、
城州柳谷(現在の京都府長岡京市浄土谷)の貫練学館の講主であつた慧量 
大僧都の下で出家し弟子となられました。

 後に、大原円融院宮を継いで、
貫練学館講主及び聖徳皇寺(現在の徳應寺、
奈良県橿原市曲川町)の検校職(事務職)をも兼ねられました。

 しかるに、天台宗の大原三千院門跡であった二宮承快親王
(=後陽成天皇の第二皇子)の命を蒙って、
貫練学館の本尊・無量寿仏(阿弥陀仏)を護持し、
元和元年(一六一五年)七月、江戸に下向して、
神田於玉が池(現在の東京都千代田区岩本町)妙美井小路に、
始めて天台宗・威王院を創立します。

 翌年(一六一六年)九月、東本願寺第十三世法主宣如上人が
江戸へ参向された際に、当院へ入與あり、
この時、浄土真宗へと転向、「聞成寺」の寺号を賜りました。

 先代住職から伝え聞きますところ、
当山には、四号(四つの名称)があるとのことでございます。
 一つには「世雄山」という山号、
 二つには「威王院」という院号、
 三つには「聞成寺」という寺号、
 四つには「佐竹道場」という道場号
とのことであります。山号はその寺が包まれてある地縁の背景を、
院号は高責なる心の室を持っていることを、
寺号は民衆に向かって開かれた仏の世界であることを、
道場号は聞法道場として、道を実践していく生活の場であることを、
それぞれ示すものと憶念いたします。

 この度、聞成寺創立四百周年記念に当たり、
この四号を改めて掲げていき、聞成寺と、当寺院とご縁ある方々と共に、
一切衆生の往生浄土の道と幸せを願い、
この尊い記念法要と祝宴を開催したいと存じます。

 皆様のご参加を心よりお待ち申し上げております。
                                     合掌






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